映画・音楽:前野健太×松江哲明 映画『ライブテープ』

私たちが生きる日々はクソみたいに残酷。

私たちが生きる日々は光輝いている。

どちらも思い込みだ。日々はただただ過ぎ去っていくだけだ。

でも生きることになんらかしらの意味を持たせたいなら思い込みが必要で、
思い込むには想像力がいる。

前者のように思い込むのは簡単だ。
悲しい出来事は山のようにあるし、人は傷つきやすいし、弱い。
日々=残酷の方程式は簡単に成り立つ。

その方程式の中で生きるとなったら感じることに鈍くなるしかない。
心に脂肪をつけてすべての感覚を鈍らせるしかない。
それがラクというか、そうせざるおえない。

もしくはいっそのこと身を任せてしまおうか。
もう知識はいらない。意味なんかないね意味なんかない――。
もしくはガチガチに武装しようか。
負けるやつが悪い、強者を目指せ、こっちだって辛いんだ――。

極論だけど。



でも、
そういった行為自体はともかくとして(あまりいいとは思わないけど)、
その行為の理由が、日々はクソみたいに残酷っていう思い込みからくるってのは悲し過ぎるっていう話で。
せっかく生きてるんだし。

後者(日々は光輝いている)であると思い込むことができるなら、
そのほうがいいなって誰しも思うわけで、
実際そう思い込める出来事もたまに訪れ、しばらくはそう思えたりすることもあるわけで。

自分の仕事が認められたり、友だちができたり、恋人ができたり、子供ができたり。

でも悲しみや残酷さを感じる機会に比べたら圧倒的に少ない。
また上で書いたようなことを享受するには、努力は当たり前として、
なんといっても幸運が必要だ。
正直バランス悪いなぁと思う。

でも光り輝く瞬間ってのは、感じることができないだけで、もっともっとあるのでは?
というかすべてが光り輝いているでしょう。

生きてるってだけで奇跡の連続なわけで、
それだけで素晴らしいでしょう。
晴れだったり、雨だったり、歩いたり、寝たり、歌を聴いたり、口ずさんだり、人に優しくしたり、優しくされたり、誰かががんばっているのを知ったり、誰かのことを想ったり、
それだけでたまらなく素敵な気持ちになれるものでしょう。
悲しみだったり、痛みだったりも、時には愛おしく思えるものでしょう。


ミュージシャン・前野健太氏の歌は、
頭の中だけじゃなくて、血肉レベルでそう思わせてくれる。
そう思える想像力を与えてくれる。

彼はどこにでもいるような人々のどこにでもころがっていそうなありふれた日常を歌う。

怠惰にすごす恋人たち、
孤独を持て余す人たち、
どうしていいかわからない想いを抱えた人たち、
感傷に浸る人たち、
仕事に向かう人たち、
季節の移り変わり――。

ちょっと湿った温もりのあるメロディと歌声、
魂を揺さぶる言葉の組み合わせで届けられるその風景は、
身もだえするほど美しく、
なんでもない日々が、退屈な日常が、
悲しみに満ちた想い出までもが、
光り輝き、かけがえのないものに思えてくる。
自分の過ごしてきた日々を思い返して、涙さえ出てくる時がある。

ひねくれ者の私でもそう思えたのは、
歌われる人々がみなアンバランスで人間臭いから。

優しい私、
ロマンチックな私、
まっすぐに生きている私、
でも
馬鹿な俺、
自分勝手な俺、
残酷な僕、
わかったような気になってる僕――。

人間の美しい部分だけじゃなく、
歌にするにはあまりに俗っぽい部分までも淡々とさらけだして歌う。

携帯ばっかいじってるだとか、ポ○チンばっかいじってるだとか、失楽園でヌいてたとか、赤裸々に歌う。

まったくかっこつけない。
(というかそれがかっこいいと思ってる)
だから共感できる。
私のような俗物でも彼が描く美しい日々を受け入れてもいいんだと素直に思える。
そして、その俗っぽさまで愛おしく思えてくる。

ちょっと困りものだけど(笑)。



そんな 前野健太氏が主演(?)を務めたドキュメント映画『ライブテープ』を吉祥寺で観てきた。

内容は前野健太氏が吉祥寺の街を歌いながら歩く姿をワンカットで収めたというもの。

大通り、路地、横断歩道、商店街、飲み屋街、公園など、目の前に堂々と横たわる街並みを、ギターをかき鳴らしながら、歌いながら通り抜けていく前野氏。

そしてそこを行き交うのは、
前野氏がいつも描いている、私のようななんでもない普通の人たち。
きっとアンバランスで人間臭い普通の人たち。
普段はすれ違うだけで何も感じないけれど、前野氏が歌う姿を通して街ゆくたちを見ると、彼らが(私たちみんなが)十人十色の思いを抱え、日々を一生懸命生きているという当たり前の事実が浮き彫りになってくる。
そしてその事実がひどくステキだということが、
前野氏の歌と渾然一体なって一気に自分の心に押し寄せてきてちょっと泣きそうになった。

彼の歌が一番映えるのはライブハウスではなく、街中なんだな。
そこは彼がいつも歌っている風景や人々であふれかえってる。

こういう撮り方をしようと考えた松江哲明監督はすごいと思う。

ワンカットで撮っているから、歌同様にすべてがむき出し。
かっこいい部分も、かっこ悪い部分も。

BGMもなし、演出もなし。
あるのは、時に優しく時に激しく共鳴する歌と人と街だけ。



見終わった後に映画で前野氏が歩いたのと同じルートで吉祥寺を歩いた。

もうとんでもなかったね。
スクリーンごしに見た時と同じように街が本当に美しく見えたし、
行き交う人々がなんだかちょっと愛おしかった。

ワンカットで描かれた映画だから、
映画のリズムと自分が街を歩くリズムがまったく同じで、
完全にシンクロ。


映画館やライブなどでしか味わえないあの特別な感覚を、日常でも十分感じることができるんだって気付かされた。
すべては地続きなんだなと。

監督がどこまで意図されたのかはわからないけど、映画で感じた気持ちが永遠に持続するかのようなあの研ぎ澄まされた感覚は本当にすごかった。
家路に着くまでちょっとした興奮状態だった。

今は少し覚めてしまったけれど、記憶は残ってる。
この記憶は大切にとっておこうと思う。

私たちが生きている日々は光り輝いてるって思っていたいからね。