生活:いまさら

これまでもずーっと、世界中で、日本中で、

毎日のように人が死に、殺されている。





“誰かのために”という思い自体、傲慢であることを意識しないといけない。

祈ることも含めて。

誰かのためには結局自分自身のためなのだから。

誰かのために何かをしたいという自分の欲にしたがって行動しているだけなのだから。

見返りを求めてはいけない。結果だけを求めてはいけない。

他人にまで同調を求めてはいけない。

傲慢だと自覚した上で、

できるかぎり誰かの気持ちや誰かのためを考えた上で、

何かをする。何かをしない。

すべては自分に関わる問題。

自分に繋がる問題。






ナチス共産主義者を弾圧した時、
共産主義者でない自分は行動しなかった。
ナチスは次に社会主義者を弾圧した。
社会主義者でない自分は抗議しなかった。
ナチスは、学生やユダヤ人に弾圧の輪を広げ、
最後に教会を弾圧した。牧師の自分は立ち上がった。
時すでに遅かった。
抗議するのは誰のためではない、自分のためだ』