映画:スプリング・フィーバー


その情念は眠らせることができるの?
その衝動は飼いならすことができるの?
本当に?






ロウ・イエ氏の最新作となる映画『スプリング・フィーバー』を鑑賞。






物語の主人公はオフィス勤めの独身男性、ジャン・チョン。

彼は同性愛者で、妻帯者であるワン・ピンと不倫をしている。

ワンは本屋の主人で、彼の妻は中学校の教師をしているリン・シュエ。

リンはワンの行動を怪しみ、
探偵のルオ・ハイタオに浮気調査を頼む。

やがてルオはジャンの中に自分と同じ孤独を見つける。

そんなルオには恋人がいる。
彼女の名前はリー・ジン。
彼女は勤め先の工場長の愛人でもある。

紆余曲折を経て、
リーとルオとジャンは、3人で行く当てのない旅に出ることになる――。







登場人物たちは強烈な孤独感にずぶずぶと漬かっている典型的な現代人。

彼らは心の隙間を埋める為にいつも過剰に誰かを欲し、
相手や自分を傷つけ泣くことで、
曖昧な生を確かなものにしようとする。

彼らの想いはスクリーン上で嘔吐物のようにぐちゃぐちゃに混ざり合い、
どこへ流れ着くでもなく、
痛みを別の痛みで塗りつぶしながらさまよい続ける。







薄汚れた監獄の地下室にいるかのような陰鬱な色調、
観ているだけで呼吸困難になってしまうような張り詰めた空気感を演出するカメラワーク、
観るものの心をそこにゆっくりと沈み込めるような耽美的なサウンド







それらが、
己の情念や衝動に支配されて、
神経をすり減らして墜ちていく彼らの姿に、
強烈なリアリズムを与える。







そして、
情欲に溺れることの醜さ、
愛に対してあまりに無防備で純粋無垢な想い挑むことの愚かさを、
観る者に容赦なく突きつける。






だが、
この作品は、
そんな醜く愚かな生き方が間違っていると断罪するようなことは決してしない。

それは不可避なものである。
決壊したダムのように感情を爆発させる登場人物たちがそう告げる。

愛し愛されることは誰にも止められない。
それが人間の営みってものだろう。
上等じゃないか。
そう観る者に思わせる。







人生にはハッピーエンドもバッドエンドもありはしない。
ただただ果たしなく長い道程があるだけ。

そんな人生の無慈悲さを暗示したラストシーンを観て思う。






彼らの狂った生は、
何か生み出したのだろうか。
何か意味があったのだろうか。
いや、何もない。
でもそれが何だって言うんだ。
知ったこっちゃない。






春の嵐スプリング・フィーバー)は告げる。
誰も彼もが狂ってる。
泣きたいなら泣けばいい。
笑いたければ笑えばいい。
それだけのことだ。